「あ、見て大石。うさぎが風船配ってる」 「なに、大石ってジェットコースター得意じゃないの? とりあえず並ぼっか」 「お化け屋敷も苦手なんだ。へぇ、面白いこと知っちゃったな」 「やっぱり観覧車は最後の締めだよね」 (な、なんだこれは……!) 遊園地を縦横無尽に歩き回る不二を追い回して俺は疲労困憊していた。何故、このようなことになっているのか。 「ジェットコースターは三つ乗ったでしょ、コーヒーカップの他にも回転系にお化け屋敷に……ねぇ大石、次は何に乗りたい?」 「ちょ、ちょっと休憩しないか……」 それもそうだね、と指折り数えていた手を解いて不二は笑った。 売店で飲み物を買ってフードコートスペースに腰を落ち着けた。「ねえ大石アイスクリーム買って食べようよ」、と嬉しそうに呼びかけてくる不二に対して、俺は素直に頷くことができなかった。気分じゃないから、と伝えると不二は「そっか、残念だな。買ってくるからちょっとだけ待ってて」と言って一人で列に並んだ。不二が背を向けたその瞬間に気が抜けて、深い深いため息が漏れた。 実は俺は少し前から英二と付き合っている。それなのに……いや不二のことだ、「だから」なのかもしれない。 英二と付き合っている俺は今、不二と遊園地デートをしている。 (どうしてこんなことになったんだ……) 二段重ねのアイスクリームを満面の笑みで持ち帰った不二に苦笑いだけを返して、俺は一人記憶を遡った。 ――金曜日の部活終了後のことだった。竜崎先生と手塚と話し込んでいるうちに赤みがかった西の空を見上げていると、着替えを終えた英二が部室から出てきた。英二は普段みんなとおしゃべりをしているときよりかは気持ち小さめの声で「じゃあまた後で大石んち行くね」と予定の確認をしてきた。それは以前から計画していたお泊まりの約束だった。 「ああ、また後で」と手を振り合って去りゆく背中を見送る俺。そんな俺の背中を見ている人物が居たとは。 「何、大石って英二と付き合ってるの」 「!?」 後ろには居たのは、不二だった。瞬間、身も凍る思いだった。別段、聞かれたとして付き合っていると特定に至るほど特別なやり取りをしていたつもりはない。しかし勘付かれたというのか。確かにやや特別感はあったか。それにしても。 「な、何を言ってるんだ。別に友達なんだから普通だろ」 そう言い訳をした。ごく自然な言い分だと思う。しかし不二は「隠したって無駄だよ」と言った。 仕方がない。気付かれてしまった以上、言い訳を重ねて墓穴を掘るよりも、真摯に本当のことを伝えて理解を得たほうが良いと咄嗟に判断した。距離の近い、クラブメイトであるなら尚更。 実は……と二週間ほど前から始まっている関係についての説明をすると、不二からは「本当にそうだったんだ」との言葉が。 「カマを掛けたのか!?」 「人聞きが悪いな。確信はなかったけど怪しいと思ってたのは本当だよ」 不二はあっけらかんと言ってのけた。とりあえず、付き合いはバレてしまったのだ。 モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、その夜は英二が泊まりにきた。一緒に食事をして、お風呂から上がると当たり前のように英二は俺の服を着ていて、二人でベッドに寝転がってあれこれと話をして、電気を消してから、水槽から漏れてくる光を頼りにキスをして…………。 ** 「ネムー……」 「英二はもう少し寝てても良かったのに」 「いやおかしいでしょ俺だけ大石んちに残ってるのは!」 それもそうだ、と笑って返すと、英二は大きなあくびをした。普段より早起きなだけで辛いだろうのに、昨晩は寝るのも遅かったからな。 「結構夜ふかししちゃったしな」 「誰のせいだよー!」 「けしかけたのは英二だろ」 「そうだっけ?」 そんな話をしながらまだ誰も到着している気配のない部室に辿りつき鍵を開ける。引き続き雑談を交わしながら着替えをする。いつもは二人目が現れるまで静かに過ごすこの時間だが、英二との会話が途切れることはなかった。五分ほどそのような時が過ぎただろうか。扉が開く音に反応した英二が大きな声で挨拶をする。 「おはよー不二!」 次に現れたのは不二だった。 「おはよう英二、大石」 「ああ、おはよう」 不二はいつもの定位置、俺と英二の間に荷物を下ろし、俺と英二の顔を交互に見渡した。何か、嫌な予感。不二は英二に問いかける。 「夕べはお楽しみだったみたいだね」 「へ?」 「大石の家に泊まりに行ったんでしょ」 「あ、知ってたんだ! そーそーめっちゃ楽しかったぁ」 屈託なく笑う英二。微笑み返す不二。いつもの見慣れた光景……のはずがいつもと違ったのは、不二は射抜くような目線をこちらに送ってきた。 「大石も、楽しかった?」 「あ、ああ」 「なんだよぉ不二、その質問!」 「フフッ」 不二の意図に気付いていない様子で英二は文句を言い、不二もまた英二には毒気の一つも見せなかった。二人はじゃれ合いながら部室を出ていった。 どういうつもりだろう、不二は。 その後も幾度か、俺たち二人が話していると割り込んでくるようなことがあった。そしてちょっかいを掛けて去っていく。人の恋路を邪魔して面白がっているのだろうか。同性同士で付き合っている俺たちをからかいたいのか。 だけどどうにも俺にばかり突っかかってきているようにも感じる。英二と居るときの不二は、いつも通りだ。俺に対しては、どこか、毒気のあるような言葉を吐いてくる。 (もしかして不二、英二のこと……?) 仲睦まじく話す二人の様子を見て一つの考えが浮かんだ。例えば不二は英二に好意を寄せていたとしたら、邪魔もしたがるし、その横に居る俺を邪険に扱いたくもなるんじゃないか? そう考えると辻褄が合う……と不二の様子をさり気なく観察しながら一日を終えた。片付けのタイミングで一人になった俺に不二が駆け寄ってきて、ギクリとした。その不二が言い放った言葉は、まさかの。 「大石、明日デートしようよ」 「……は?」 楽しそうに話しかけてくる不二に対し、俺は懐疑的に聞き返すしかできなかった。だって、俺と不二が……デート!? 「不二、今なんて……」 「だから、デートしようよ。明日は部活もないし、大石も特段用事はないでしょ。断る要素はないよ」 なんでそんなことを知ってるんだ……! そういえば不二は乾と仲が良かったな、データでももらったのだろうか……などと頭の片隅で考えつつも俺の頭はぐるぐると混乱していた。 なぜ俺が、不二と、デート、なんて。 「明日、駅前に十時でいいかな」 「え、おい!」 「大石に限って遅刻するなんてことないよね」 「ちょっと待っ……」 話し合える隙も与えず不二は走り去ってしまった。 不二が俺にデートを申し込んできた、だと!? 俺の仮説によると不二は英二のことが……いや、その仮説すらそもそも根拠があるわけではない。俺と英二が互いに想い合っていて、気持ちを伝えるチャンスに恵まれ、今付き合えている事実も奇跡だと俺は思っている。そんな奇跡が叶ってしまったからって、まさか、他にもこの男子テニス部内で恋慕事があるだなんていうのは、安直すぎる妄想なのではないか? でもそうではないとしたら他にどんな理由が……やはり面白がっているのか……。 「大石、何ぼーっとしてんだよ」 「あ、いや……」 まさか、明日不二とデートすることになってしまって、とは英二には言えない。言葉を濁した俺を英二は不思議そうに見つめてきたが、追求してくることはなかったため胸を撫でおろした。 どうしてこんな余計な心配事を抱えなければならないのか。解せない思いもありながら一日を終えた。 翌日。 (九時二十三分……) 強引だったとはいえ交わされた約束を破るのは良くないと思い目指した待ち合わせ場所、到着直前に腕時計を確認してため息が出た。結局時間通りに……それどころかいつもの習慣で三十分以上早く待ち合わせ場所で着いてしまった。 不二はもう既にそこに居た。 「今日は絶対に大石より先に着いてようと思って一時間前に来ちゃったけど、思ったより待たなかったよ。君っていつもこんなに早く来てるの?」 そう言って笑った。 ……わけが分からなかった。 どこで何をするんだと聞いてもはぐらかされ、誘われるがままにたどり着いた先は遊園地だった。不二に誘導されていくつものアトラクションに乗り、簡単な昼休憩を除いてひたすら園内を歩き続けて現在に至るわけである。疲れた様子一つ見せず楽しそうにアイスクリームを食べる不二を見て、俺は達観した気持ちでコーヒーを一口飲み込んだ。 突然デートに誘われたことにまず驚いた。きっと何か意図があるはず、と疑いながら待ち合わせ場所へ足を運んだが、案内された場所が思いがけずいかにもな「デートらしい場所」であったことに俺は驚いた。そして心底楽しんでいる様子の不二にもまた驚いている。 「はい大石、あーん」 「!?」 考え事をしている俺の眼前に、不二はアイスを一口分掬ったスプーンを伸ばしてきた。俺はぎょっとして咄嗟に顔を後ろに引く。 「やめろ!」 「なんで」 「恥ずかしいだろう」 「誰も見てないけど?」 「……」 確かに周囲に人は居なかったし、少し離れた位置を稀に通過する人たちもこちらに視線を寄越す様子はない。 そういう問題じゃない、とその手をそっと押し戻した。ちぇっ、と言って不二は自分でその一口をパクリと咥えた。……どういうつもりなんだか。 昨日の様子から、何か特別な意図があることは間違いないと思っていた。しかし会ってからこれまで言葉通り「デートをしている」だけで、英二や、俺達の関係について触れてくるようなことはない。不二が何を考えているのか理解ができなかった。 そんな俺の思考が読まれたかのようなタイミングで、不二はぽつりと呟くように声を漏らした。 「ごめんね、こんなことをしたって君は楽しくないってわかっているのに」 ……不二? 伏せられた顔を覗き込むようにすると、ぱっと顔を上げて「次はフリーフォールにでもする?」と言って笑った。「勘弁してくれ」としか言えなかった。 絶叫系はあまり得意ではない俺は、今日はひたすら不二の要望に振り回されている状態であった。一日何回か程度であれば耐えられるが、絶叫系を中心に組み立てられた今日のメニューに俺は疲弊しきっていた。 できればあまり心臓に悪くないようなものが……例えば観覧車、とか。 「冗談ジョーダン。時間的にもうそろそろ最後だよね。観覧車、乗ろっか」 不二の思考と俺の思考が初めて重なった。これほど素直に歩き出せたのも今日は少ない。 二十分ほど並んで、俺たちが観覧車に乗る順番が回ってきた。日は傾いてきていたが、観覧車の中に照明は点灯していない。どこか薄暗く、狭い空間に俺たちは足を踏み入れた。斜めに向かい合わせになるように腰を掛けた。足を伸ばした不二は 「なんだかんだ疲れちゃった」 と言った。 「俺ほどじゃないと思うぞ」と皮肉を飛ばすと、「やだなぁ」と苦虫を噛みつぶしたような笑顔が返ってきた。堪えていないだけで一応皮肉は通じるようだ、などと思った。ため息が出た。 結局、なんだったのだろう。未だに不二の意図はわかっていない。無理やり遊園地に連れ出して、得意でもない絶叫系にいくつも乗せて……。俺が邪魔で、単に嫌がらせがしたかった、のか。それならば何故、俺の前で、隣で、楽しそうに笑っていたのか。そして今、遠くを切なそうに見つめているのか。 (不二……?) 「安心して、もうすぐ終わりだから」 その言葉の意味を考えながら、不二の横顔を見つめる。 不二の目的は、嫌がらせではない? 「大石、見て」 窓の外を見たままツンツンと窓を指す。傾かないかと心配しながら少しずつ腰を横にズラした。そして不二の視線と指の先が向いている下の方を見た。高さに一瞬目がくらむ。そして人の頭が認識できた。細々と動いていて、なんだか忙しそうだ。それに対して、ゆっくりと観覧車は動く。 「なんかさ、高いところから人が動いてるの見るのって面白くない?」 「そうかもな」 「向こうからはこっちも同じ大きさに見えてるのかな」 写真にはうまく写せなさそうだな、と漏らしながらも窓にぺったりと張り付いている不二は楽しそうだった。不二にもこんな無邪気なところがあるんだな、と俺は少し意外に思った。不二というと、同学年ながらなんだか大人びている印象があって近づきづらいと思うことすらあるからだ。よく一緒に居る英二が無邪気すぎて、相対的に不二が落ち着いて見えているのはあるかもしれない。不二が長男(第二子だったかな)で英二が末っ子だということも影響しているだろうか。 もし、英二が遊園地に来たらそれはそれははしゃいだだろうな。英二はメリーゴーランドにも喜んで乗りそうだな。配られている風船を貰うだけに留まらす、配っている着ぐるみのうさぎと写真でも撮っていそうだ。もしも観覧車にでも乗ろうものなら、「やっぱりてっぺんでチューしなきゃ!」とでも言い出すに違いない。 そんなことを、どこに焦点を当てるでもなく考えていたことに、正面から突き刺すように見てくる不二の視線で気づいた。穴が開くほど見られ、俺はたじろぐ。 「……どうかしたか」 「今さ」 そこまで言ってから、ふう、とため息で間を作って不二は言葉を続けた。 「英二のこと考えてたでしょ」 「えっ、どうしてそのことを」 「やっぱりそうだったんだ」 「………」 飄々と返してくる不二を前に、俺は硬直するしかできなかった。 また、してやられた。またカマを掛けられたのだ。でもさすがに考えてる内容までは分からないだろう。余計な墓穴を掘らないように俺は口を噤んだ。車内は沈黙。 観覧車は、頂上へ近づく。 不二は背中に体重を預けると天井を見上げたまま言う。 「実は僕、読心術の心得があってさ」 「えっ、本当か?」 「嘘に決まってるじゃない」 「………」 嘘、なのか。不二のことだから本当でもおかしくないと思って信じてしまった俺が居た。 不二は掴めないから、苦手だ。そう思った直後、思いがけないことを不二は言う。 「いつも見てたんだもん。英二と一緒の時だけ表情が違うことぐらい、いい加減気付くよ」 ――え。 (いつも見てた? 不二が……俺のことを?) その言葉の意味を噛み締めながら、これまでの会話を振り返る。もしかして、俺と英二の関係を聞いてきたときもカマを掛けたわけではなく、俺の表情で察していたとしたら? 心を読んだわけではない。いつも見ていたから、微かな違いにも気付けたのだとしたら……。 ――視線を逸らした先、外は一面黄金色(コガネイロ)。 「僕、大石のこと好きだよ」 「――――」 視線は合わないまま、突然の告白。窓の外を見ていた俺はその言葉に正面を向き直したけれど、不二はまだ天井を見上げたままだった。 「今日はそれが伝えたかったんだ」 「不二……」 「あ、返事は要らないよ」 首を起こすと、ようやく視線を合わせてきた。でも、それもまたすぐ逸らされた。 「分かってるもん。敵わないことぐらい」 俯く不二の姿は痛々しい。視線の行き場が無くなって、俺はまた窓の外を見た。 人があちらこちらへと動き回っている。それが少しずつだが着実に近付いてくる。いつの間にか下りも終盤に入っていたことに気付いた。 そこから一番下に着くまでは、完全な沈黙。閉ざされた空間の中に入ってくる音など無くて、自分たちが立てる音もどこにも無くて。係員が扉を開くその瞬間まで、お互い窓の外を見ていた。人を見るものと夕焼け空を見るものと、視線の方向は違ったけれど。 「ありがとうございましたー」 声を掛けられながら扉を開け放たれた。とん、と軽い足取りで乗り物から下りる不二。俺は身を屈めてゆっくりと続いた。 言葉もなく、不二はどんどん先へ歩いていく。俺は同じ速度で着いていった。追いつかないように、でも見失ってしまわないように。 お土産を買う客でごった返した建物を通り抜けて、気付けば遊園地の外へ出ていた。 観覧車の中での会話以来お互いの間で初めて発せられた言葉は、自動販売機の前で不二が言った「飲み物買うね」だった。 不二が買ったのはアイスティー。俺はいつもだったらコーヒーでも買っていたところだけれど、何故だか無性に炭酸飲料を飲みたくなってそのボタンを押した。 横でペットボトルを開ける音がする。自分の前では缶が落ちてきた音がする。販売機の蓋を開けて拾い上げた。 プルタブを引き、一口飲む。炭酸がしゅわしゅわと喉を刺激する。だけどどこか物足りない。ゴクゴクと喉を通過させて、勢いで一缶飲みきった。 わずかに涙が滲んだのか、直後に見上げた夕焼け空は霞んで歪んで見えた。視界全てが、オレンジ色の炭酸ソーダみたいだ。 「大石は、さ」 掛けられた声の方向に顔を向けつつ、目を見ることは出来なかった。 「やっぱり僕なんかより英二の方が好きなんだよね」 「……ごめん」 真摯に答えたつもりが、否定してくれないんだ、と不二はクスクス笑った。俺はフォローの言葉も失って口を閉じる。 一旦笑い声が止んで、数秒の間があってから不二は改めて喋りだした。 「分かってたよ、そんなこと。それでも……」 諦められなかったんだ、と。 斜めから見えた顔は、とても寂しそうで。そうさせているのが自分だという自覚はあるけれど、掛けてやる言葉が見つからなくて。どの道、同情だけで言葉を掛けるなんて、したくなかった。できなかった。 ふっ、と微笑を零すと、不二は真っ直ぐとこちらを見てきた。 後ろに、大きな橙色の夕陽を置いて。 「振り向かせることができないなんてわかってた。僕のワガママに付き合わせて、振り回すことでしか君の視線を奪えない気がして……バカだね、僕」 そう言って自分を嘲るように笑った。 「そんなことしたって意味ないのにね」 「不二……」 不二のその表情を見ていたら、先程炭酸飲料を一気に飲み干したときの感覚が蘇った。喉がしゅわしゅわ、チクチクとして、わずかに視界が歪む。 「迷惑掛けてごめんね。今日、楽しかったよ」 不二は「さ、大石、帰ろう」と明るく言い放つと駅に向けて歩み始めた。ゆっくりと。俺はそれを同じ速度で追う。先程観覧車を降りたときと同じように。だが、それよりも遥かに遅い速度で。 不二の背中を見ていると、得も云われぬ感情がこみ上げた。自分から突き放したはずなのに、届かなくなってしまったことがとても切なかった。まるで、古くなって自ら捨ててしまった宝物のように。 『さ、大石、帰ろう』 いつものように俺の名を呼び、普段通りに微笑み、何事も起きなかったかのような態度で振る舞う不二の姿を脳内でもう一度再生する。 不二がいつも通りに振る舞ってくれたのが、唯一の救いだった。今、どのような表情をしているかは見えないけれど。 そう、いつも通り。不二がこれからもいつも通りにしてくれるのであるならば、俺もまた、英二にいつも通りに接することができるだろう。 なのに……そのはずなのに。その瞬間の俺の心の中は、誰より大切に思っているはずの英二ではなく、目の前にいる者で一杯だったんだ。 前を歩く不二に向けて、後ろから声を掛けた。 「不二……ごめんな」 「謝らないでよ。大丈夫だから。もうこの話はやめよう」 一瞬振り返った不二は、そう言うとまた正面を向いて歩き続けた。 その後ろで俺が首を横に振ったことを、不二はきっと一生気付かないままなのだろう。 本当に、ゴメン。 |