* Bachelorette's Eve *
“結婚前夜に何をする?”
まだまだ暑さは続くのに
夏至を越えて心なしか早くなった日暮れ。
会社帰りの電車の窓には外の景色が透けていて、
うっすらと自分の顔が反射しているのを見つめる。
そんな普段通りの時間を過ごす私が
実はちょっとだけ特別な瞬間であることを
周囲に居る誰一人として気付いていないだろうけど。
今日は独身最終日だ。
社会人になってから出会った彼氏と2年の交際期間を経て、
プロポーズを受けたその日からもうすぐ一年。
お互いの両親への挨拶、顔合わせ、式場探し…
首尾よく順序を踏んで、数日前から結婚指輪が薬指に光ってる。
明日入籍、
週末挙式、
来週には引っ越しをして同棲が始まる。
何もかもが順調。
最も慌ただしいのは週末だろうし
生活が変わるのは来週から。
法律上の変化があるのは明日のはずなのに
その前日である今、一番実感がない。
何かした方がいいのだろか。
といっても今から何ができるのか。
海外ではバチェロレッテ・パーティーなんて
最後のハメ外しのどんちゃん騒ぎもしたりするらしいけど、
付き合い始めた記念日を入籍日に定めたせいで平日ド真ん中。
晩ご飯だって家で食べるって言っちゃってるし、
今から何かできるような気もしないけど。
(やり残したこと、本当にない?)
今更、「独身のうちにやっておくべきこと」なんて検索してみる。
一人旅、数えきれないくらい行ってきた。(国内海外含め)
貯金、それなりにある。(実家暮らしの強みよ)
家事、困らない程度にはできる。(レベルアップはこれから)
読書、好きなだけしてきた。(活字読むのは好き)
恋愛、もうお腹イッパイ。(こう見えて私はモテてきたんだ)
富士登山
バンジージャンプ
フルマラソン
推しのライブ全通
ソシャゲに大量課金
オールでカラオケ
吐くまで飲酒
合コン
逆ナン
ワンナイト
大きな声では言いづらいような火遊びも…(法に触れるものはNO)
(やり残したこと、ないよなあ)
何もない。
明日結婚して、人妻になって、
一人ならではの自由は失うことになって、
それから「もっとあれをやっておけば良かった」と思うものに
心当たりは一つもない。
ないはずなのに。
(……なぜ秀一郎の顔が浮かんでしまったのだろう)
子どもの頃から私をお互いを知ってて今も交流のある数少ない人。
今夜、最後に話したいとしたら、秀一郎なのかもしれない。
結婚前夜に他の男に会いたがるなんてどうなの?
と思いながら、
他にやることを思いつけなかった私は
ツイとスマホを操作してメッセージを送った。
『晩ご飯食べ終わったあととかでいいんだけど、
西公園でちょっと会えない?』
行き慣れた近所の公園を指定。
『20:30頃でいいか?』とすぐに返事が来たから
『うん』とだけ返した。
普通ならスタンプが返ってきそうなその場面で
『了解』と打つのが秀一郎だ。
そこまで確認してからスマホを閉じて、一つため息を吐いた。
窓に映るのが外の景色よりも
自分の姿の方が色濃くなってくる頃に電車を降りた。
家に着いて玄関を開けると私の好物の匂いがした。
* *
昼間の暑さとのギャップのせいなのか
夜風が少し涼しく感じる。
仕事着(といってもビジネスカジュアルだけど)のまま
パンプスをサンダルにだけ変えた姿で公園へ向かった。
この時間では子どもが遊んでいるはずもなく
たまに散歩の人が通り掛かる程度で閑散としている。
特に示し合わせていなかったけど、
ブランコへ向かうと案の定そこに腰掛ける秀一郎の姿が見えた。
秀一郎は白いTシャツにネイビーのパンツのラフな姿でそこに居た。
「今生の別れでも言いに来たのか」
開口一番、そんなことを言った。
私は笑う。
「逆だよ。これからもよろしくねって言いにきたの」
伝えながら私は隣の空いたブランコに腰掛ける。
地面にぶつからないよう足を思い切り曲げて漕ぎ出す。
「秀一郎のことは腐れ縁の幼馴染が居るんだって話して
向こうも認知してるから」
「そうなのか」
「週末顔合わせたら『君が秀一郎くんか』とか言われると思うよ」
そのシーンを想像してケラケラ爆笑。秀一郎は苦笑い。
後ろめたいことは何一つない。
私たちの間には、話せないようなことは何一つなかったのだから。
「堂々としてなよ。たまたま異性ってだけで
ただの幼馴染だしキョウダイみたいなもんじゃん。
後ろめたいこなさすぎてがっかりするくらいクリーンな関係でしょ」
「それはそうだけど…結婚するとなると少し気を遣うというか」
「相変わらず考えすぎー!」
爆笑しながら腕をぐいと伸ばして、肩をバシバシと叩く。
今まで何度もやってきた動作。
叩いた肩は当たり前に温かくって、
生きてるんだ、と、
当たり前に感動してしまった。
あまりにずっと当たり前だった。
失ったことは一度もなかった。
(ああ、でも、)
こんな風に二人きりで会うことは
もうそうそうないのかもしれない。
そっか、だからか。
ここで会っておきたかったのは。
「…後ろめたいこと、一つくらい作っておく?」
「は?」
何を言っているんだ、というその言葉を遮るように
私は立ち上がって秀一郎の真正面に立って
首に腕を回してぎゅっと抱き寄せた。
温かかった。
覚えてないほど小さい頃には手を繋いだことくらいあったかも。
頭叩いたり背中突いたり腕小突いたり軽く体当たりしたり
そんなことは数えきれないことはあったけど
きっとこれは一度もなかった。
こんなに近くに居たのに。
腕を解いて、へへへと照れ笑いをする私。
「これくらいじゃ後ろめたくもなれないね」
そう伝えた次の瞬間、秀一郎は立ち上がって、
肩ごと抱くように背中に手を回した腕にぎゅっと力を込めてきた。
大きな手が添えられて、背中の真ん中が、温かい。
「、お幸せにな」
耳元でそう聞こえて
「絶対幸せになります」
と肘から先を腰に回して引き寄せた。
数秒間そうしてから体を離すと、
少し気恥ずかしくて、
でも後ろめたさは何もなくて。
極々爽やかな気持ちで
「ありがとう」
と自然と感謝の気持ちが漏れた。
心残りなんてなかったはずなのに、
これで私、自信を持って次に進めるわ、なんて
思っているってことはどこか心残りがあったのかもしれない。
結局君とは一度も付き合うようなことなかったけど
ずっと長いこと一番近くに居て
一番純粋にお互いの幸せを願える相手なのだから。
「秀一郎も幸せになれる相手見つけなね」なんて
煽るみたいなこと言ってやったら
「そうするよ」なんて返事が来るから、
お、もしかして報告の日が近いのか?
なんて勝手にその時を期待してみる。
ねえ秀一郎、一生幸せでいてね。
それが、
これから一生幸せで居ることを誓おうとしている、
私からの一生のお願い。
『せめて一番近くでその道程を見届けたい』の続編でした。
さよなら独身の私。
人生でたった3ヵ月強の婚約期間も今日でおしまい。
今後一生続く(であろう)既婚者人生の始まりだ。←()をつけるな
大石と結婚できないことを前向きに捉えられる人生になって良かった。笑
それでも言わせてほしい、大石と結婚したい人生だった、と…(笑)
以上、結婚前夜に「大石夢を書く」以外の心残りがなかった限界夢女より笑
2024/07/22