* THE BLIND GOD -part.9- *












――朝。

部活へ来ると、数人が既に部室前に居た。
遅くなって悪かった、と。
そう謝りながら鍵を回した。
全員を中へ通した後、
気付かれないようにこっそりと腹部を摩りながら部室へ入った。

遅刻したのなんて、いつ以来だろう。
もしかすると、初めてかもしれないということに気付く。


……英二。

今日、部活来るかな。


少し心配になった。




  **




「大石」
「ん?何だ、手塚」
「菊丸はどうした」

その名前が出た瞬間、俺が眉を顰めたのは気付かれてしまっただろうか。
それはさておき。

英二が来ていない?

「まだ来てないのか?」
「ああ。お前も知らないのか」
「悪いな」
「いや、いい。お前なら知っているかと思ったのだが」

知っていると言えば知ってるかもしれないけどな。

そう、全員集合の号令を掛ける手塚の背中に向かって思った。
ずるい自分に、やはり苦笑するしかなくて。

それにしても…そうか。
やっぱり英二は来ていないのか…。


キリ、と少々胃が痛むのを感じた。
少し前屈みに腹を抱え込むと、後ろから声が掛けられた。

「大丈夫、大石?」

穏やかな声。不二だ。
俺は少し苦痛に顔を歪ませながらも精一杯も笑顔で返した…つもりだ。

「あ、ああ。大丈夫だ。心配要らない」
「……本当に英二と何も無かったの?」

訊いてくる不二の目は、心配してくれているような、
その半面問い詰めてきているような。
不二はいいやつだが、イマイチ掴めない。

「手塚との会話、聞いてたのか」
「小耳に挟むってやつ」

にこりと笑ってくる不二。
俺は笑い返して誤魔化そうとした。
しかしどうも通用しないらしい。

「ま、全部は教室に行けば分かると思うんだよね」

そうか。不二は英二と同じクラスだったか。
それから確か…。

「最近、英二とさんも様子おかしいしさ。何かあったのかな」
「――」

またキリキリと痛み出す胃。
眉を顰めたことに、恐らく不二は気付いてしまったと思う。

「ま、どうでもいいんだけどね」

そう笑顔を向けるとくるりと翻した。


「大石、不二。何をしている。ランニングだ!」
「今行くよ、手塚」

軽々と走っていく不二。
俺はその後ろを重い足取りで追った。


この日の朝練は、散々だった。







休み時間。
行くか行かないか迷った挙げ句、
俺は3年6組の教室の前に居た。

この扉を開いたとして、俺は何を言えばいいんだ?

自分に問い掛けてみたけど、答えは出てこない。
深呼吸していると、後ろから声が掛けられた。

「大石」
「…不二か」
「英二なら居ないよ」
「――」

まるで心の中を見透かされているような気分だが、
不二は俺が知りたいことをストレートに教えてくれた。

「居ないって…どういうことだ?」
「今日は欠席。部活だけじゃなくて学校も休んでるんだよ」

…なんだって?
学校にすら、来ていない!?

まさか。いや、でも、だけど……。

「なに、大石その表情。何か心当たりでもあり?」
「あ、いや……」
「そう。ま、別にどうでもいいんだけどね」

言うと、不二は俺の横を通り過ぎて言った。

…気付いているのか、不二。
なんだか少し不安が生まれて、俺は動けず立ち尽くしていた。
すると…。


「大石君」


呼ばれた声に、はっとする。
だって、この声は…。

…」

そうだ。3年6組は、のクラスでもあったのだよな、
ということに今更気付いた。
俺の姿を見つけて出てきたのだろうか。
いや、丁度教室から出ようとしたら俺がいたから声を掛けただけかもしれない。

「ね、大石君。今日の放課後、時間ある?」

その言葉で、どうやら俺と話すために出てきたということが分かった。
俺は一瞬思考を巡らせた。
確か、今日の放課後は…。

「今日は委員会があるだろう」
「だから。それが終わった後。どう?」

は、知っていて言ったのだろうか。

俺は、委員会がある日は部活に大抵出ない。
少しの例外を除いては、学級委員会は他の委員会に比べて遥かに時間が長く掛かる。
(といっても生徒会に比べれば短いものだが、曜日が違うので。まあ、ともかく)
それに伴って、俺は委員会があった日はそのまま帰ることが多い。
部活にそんな時間から出たって、ウォームアップだけで終わってしまいそうだからだ。
委員会は大抵中途半端な時間に終わる。
まだ部活は終わっていない、でも、今から言ったのでは間に合わない、というような。
それで結局、俺はそのまま帰る。

「話し合いがいつもどおり長引いたら、いいけど」
「分かった。それじゃ、委員会でね」

俺の矛盾した言葉に疑問を持つことなく切り返してきたのだから、
はきっと知ってて言ったのだと思う。
それだけ俺のことを見ていてくれたのか、と思うと心が痛い。

それでも、自分の心は誤魔化せない。

俺は静かに6組の教室を後にすると、
自分の教室に向かった。
途中で不二と擦れ違ったけど(手塚に会いにでも行っていたのだろう)、
会話はなく無言で通り過ぎた。





  **





放課後は意外と早くやってきた。
委員会はいつもと同じような時間に終わった。
5時半を少し回ったというところ。
俺はに声を掛けた。

「それじゃあ、帰ろうか」
「うん」

二人無言で階段を下りた。
なんだか息苦しい…。
この前のこともあるし、色々と話し難いわけだ。

そのまま互いに自分の下駄箱に向かい、
靴を履き替え、校門を潜った。


そうして無言で歩くこと、30秒ほど。
のほうから、口を開いてきた。

「今日、英二学校来てなかったね」

顔をこっちに向けて、様子を伺うようにして。
それで、が話そうとしているのは英二のことか?と思った。
もしかしたら、英二が学校へきていない本当の理由を知っているとか。

「そうみたいだな」
「何かあったのかな…」

普通に笑顔を切り返すと、は不満げというか淋しげというか、
なんというか微妙な表情をした。
本題は英二についてじゃないのか?となんとなく悟った。

よく、分からないけれど。

「…ね、大石君!」
「どうした?」
「ちょっと…喫茶店でも、寄らない?」

突然が声を張り上げるから、俺は疑問に思った。
喫茶店…そこで話をするつもりなのだろうか。
こういうところでは、話しにくいことなのかもしれないな。

「分かった」
「それじゃ、行こっか」

方向を少し変えて、商店街の方向へ向かった。








「いらっしゃいませ」

喫茶店は、なんだか少しおしゃれな雰囲気のしたもので。
普段こういう場所から無縁の俺からしては、
なんだか知らない世界に巡りこんだような気分だった。
は席に座るなり、「アイスコーヒー2つね」と
手っ取り早く注文を済ませた。

くるりとこっちを向き直ると、無邪気な笑顔で問い掛けてきた。

「アイスコーヒーで良かったよね?」
「ああ。構わない」

そのとき、俺は軽いデジャ・ビュのようなものを感じた。
昔もこんな場面があった…そうだ、どこかで。


思い出した。
それは冬のある日、なんらかの理由で英二と二人で喫茶店に入ったときのことだ。

英二は席につくなり、俺に何も聞かずにホットココアを注文した。
俺は本来は極端に甘いものはそれほど頼んだりしないのだけれど、
「ここのホットココア、美味いんだぜ!絶対大石も気に入るよ」
と英二が満面の笑みで言ってきたので、俺も笑顔を返した。
実際飲んでみると、確かに甘かったがしつこいような感じはしなくて、
逆にあっさりとしているような気さえした。

今となっては、懐かしい思い出だ。


「お待たせしました」

ウェイトレスがコーヒーを二つ、トレイに乗せて持ってきた。
コースターを敷いて、その上にグラスを2つ、テーブルに置く。
氷の入ったグラスは冷えていて、周りに水滴がついている。
ミルクの入った小さな瓶も置かれて、その横にガムシロップも2つ。

はまず、すぐにガムシロップを手にとって、蓋を開けた。
そうしながら、何も入れないまま飲み始めた俺のほうを向いた。
自分のガムシロップを持っている反対の手で俺の分を持ち上げ、訊いてきた。

「大石君、ガムシロは?」
「あ、俺はいいよ」
「男は黙ってブラックコーヒーってか?渋いねぇ」

差し出されたのを手を前に出して断ったものの、
返された言葉がなんだか悔しくて。
俺は掌を上にして右手を差し出した。

「…やっぱり使おうかな」
「駄目!私が2つとも使う」
「………」

はばっと俺の分も取り上げた。
やり場のなくなった右手が、虚しく宙に浮いている。

元々ガムシロップなんて使う気なかったし、
入れないで飲むほうがどちらかというと好きだったから、特に文句はなかったのだけれど。
でもやっぱり差し出した手が寂しく感じられて、俺は眉を顰めた。

はそれを俺が怒っていると取ったのか、
けらけらと笑いながら誤魔化すように言った。

「冗談だって。怒らないでけろ」

そう言いながら、はい、と俺の手にガムシロップを乗せた。
そのとき、俺は再びデジャ・ビュに巡り合う。
冷静に振り返ると、それはやはり体験したことのあるもので。


これも、冬の寒い日だ。
もしかすると、喫茶店に入ったその日と同じ日かもしれない。
そのとき降っていたわけではないものの、
辺り一面には雪が降り積もっていて。
浮かれ気分ではしゃいでいた英二が飛び回っていた。

すると、公園には小学生が作りでもしたのか、雪だるまが作ってあって。
その中に、ちょっと形の悪い、縦長の一つの雪球があった。
(頭を乗っけていなかったから、雪だるまとは呼べない)
それを見て、英二はこっちを振り返るとボソッと言った。

「雪タマゴってのがあったら…こんな感じ?」

別にその言葉に対して本気で怒ったつもりは無いけど、
半分脅しみたいなつもりで腕を振り上げ「コラ」というと、
英二はさっと体を離して笑いながら言った。


「冗談だって。怒らないでけろけろっ!」


すると、その言葉を蛙と絡めているのか、
奇妙な体制でピョンピョンとと飛びながら離れていった。

懐かしい、思い出だ。





「大石君…?」
「え?あ、ごめん!」

の声で、自分が半分夢の世界に入りかけていたことに気付く。
不思議そうな顔で、は俺の顔を覗き込んできていた。

「それで、本題なんだけど」

話すを見て、ああ、いい子だな、と思った。
フっておいてなんだけど、は…本当にいい子だ。
もう、俺には勿体無いくらい。

あんなことがあった後も、このように俺に前と変わらず話し掛けてくれる。
寧ろ、話すことが増えたくらいか?
だからといって、わざとらしく余所余所しい態度をすることもなく。

本当にいい子だ…そう、思っていたから。
だから。


「……え?」

「だから、――…」


のその言葉を、俺は一瞬理解できなかった。



まさか…まさか。

でも、本当に―――?




『バンっ!』


「――」




静かにクラシックがかかってる喫茶店の中。
他の席にいるものがこっちを凄い勢いで振り返るのも知らず。


の言葉を再び耳に入れた瞬間、俺は机を叩いて立ち上がっていた。






















Next criminal→Eiji Kikumaru


2003/08/07