* 諦めないで、負けないから。 -part.3- *












「あらリョーマさん、今日は随分と早いのね」
「まぁ、たまには…」


時計が差す時刻、それは7時半を少し回った、というところだった。
目覚ましが鳴ってもなかなか起きず、
朝食もままならぬような状態のまま桃城の自転車に乗り登校するリョーマにしてみれば、
それは大層早い時刻だった。

そんなリョーマは、食卓につくことなく居間のテレビをつけた。
テーブルに肘を突くと、ぼうっと画面を見ていた。


天気予報は快晴を告げていると、どうだか。

意外に夕立が来たりしてね。



『それでは次のニュースです。ここ数日、通り魔による被害が相次いでおり…』

「あ…」
「ん?どうしたの」


後ろから菜々子が覗きこんでくるのも構わず、リョーマは画面に釘付けになっていた。
速報は次々と人の名を呼び上げていく。

『…くん9歳は運び込まれましたが、一時間後に死亡。
 東京都在住の12歳の少年は右腕と腹部を刺され、
 全治3ヶ月の重症。これは女性や子供を狙った…』

「あら、12歳なんてリョーマさんと同い年じゃない…リョーマさん?」
「………」


問われるように呼び掛けられても、返事をすることなんて到底適わなかった。
ワナワナと唇を震わせ、ニュースキャスターの口が動くのだけを見つめていた。

声なんて聞こえない。


『なお、政府は小中学校に集団下校を呼びかけると同時に、犯人の特定を急いでいます。
 …では次のニュースです。千葉県で実況で・・』


プチッ。


リョーマはテレビの電源を消した。
左手はリモコンをテレビに向けたまま宙に浮いている。

それをすっと下ろす。
なんだか、とてつもなく不安な思いが身を包んだ。


「カチロー…」

気に留めていないようで、本当はとても大切だった、友達。
変なヤツ、と思ったことも多かったけれど、それ以上に明るさや癒しをもたらしてくれた。
これからもそれは変わらない、という考えは間違いなのだろうか。


「…朝飯」
「あ、はい。居間準備するわね」

パタパタと台所へ向かっていった菜々子の足音を聞き届けた後、リョーマはゆっくりと立ち上がった。




  **




「オイ越前、見たかよ今朝のニュース!」


学校へ着きいつも通り教室に行くと、血色を変えて飛び掛ってくる堀尾が居た。
いつもなら勝郎と一緒に居るはずのカツオ――二人は同じクラスだ――も、そこに居た。

「ニュース、見たけど…」
「東京在住の12歳の少年ってカチローのことだろ!?
 全治3ヶ月だってよ!?ま〜じでヤバイだろ!」
「学校にはいつから来るんだろう…」

ひたすら騒ぎ立てる堀尾に、不安そうな表情のカツオ。
リョーマの態度はその二人からもまた正反対で、興味も無く涼しげな様子。


「別に。そのうち出てくるんじゃないの」
「越前!」
「……」

堀尾に非難されるような声色で名を呼ばれようと、リョーマは反応しなかった。
だからといって、本当に心配していないのかというと、そうではなく。
押しつぶしてきそうな不安が表に滲み出てきていないか、彼自身心配だったりしたのだ。

冷たいように見えて、本当は熱く、そして時によりふと温かさを見せる。
リョーマというのはそんな男だ。

といえども、温かさなど滅多に見せはしない。


でも――それがカチローだったのならば。
自分に明るさと堅実さを与えてくれたカチローになら。

…こういうのも変かもしれないけど。


――守ってあげたくなるタイプだった。


と。そう思ったことさえある。


「…堀尾くん、リョーマくん」
「どうした、カツオ」

相変わらず不安そうな声のカツオに、堀尾が応答する。
(リョーマは首を持ち上げただけだった。)
カツオは息を小さく呑むと、大きく切り出してきた。

「今日部活終わったらさ、病院行ってみない?」
「お、それはいいな!」

指をパチンと鳴らす堀尾。
賛同の意見が出て、カツオの顔が綻んだ。

「ねぇ、リョーマくんは…」
「―――」

顔を向けてきたカツオに、リョーマは何も言わず。

ただ、口の端だけをニッと持ち上げて見せた。







放課後は意外と早くやってきた。
いつもと大して変わりのない生活が呆気なく過ぎ去っていった。

それでも少しの空虚感を隠し切れぬまま、部活も終わった。



「それじゃあ、早いとこカチローに会いに行こうぜ!」


軽い調子で堀尾が仕切る。
いつものことだ。

「どこの病院かはわかってるの?」
「もっちろん、ばっちり部長に聞いてきたぜ!」


こうして、3人は病院に向けて歩き始めた。親友のお見舞いに。
少なからずと落ち込んでいるであろう友人を、元気付けるために。




病院に着くと、快晴である空のからっとした雰囲気から打って変わって、
少しどんよりとしたように、シンとした薄暗さが広がっていた。

受付で病室を訊いた。3階の個室だった。


「それじゃ、入るぜ」

堀尾は軽くノックをした。
一瞬静かだったが、2秒ほどの間を置いて、少し高めの返事が聞こえた。
いつもと変わらぬ、勝郎の明るい声だった。

恐る恐る、堀尾がドアを開ける。
後ろからカツオが覗き込み、勝郎の存在を確認する。
そこに居た者が笑顔だったので、二人も安心して扉を大きく開けて部屋に入った。
送れて、リョーマも部屋に入り、後ろ手でドア閉めた。

「みんな、来てくれたんだ」
「当ったり前だろ!おれたち親友じゃんか」

顔が綻んでいる勝郎に、堀尾は胸を反らせながら自慢げに言った。
決してそこは堀尾が自慢するようなところではないのだが
(そもそもお見舞いに行こうと言い出したのはカツオだ)、
勝郎はそれを素直に受け取り、微笑んだ。


「ありがとう」


その純粋さと屈託のない笑顔に、三人は些かのくすぐったさを感じたほどだ。

これが、勝郎なのだ。
いつでも皆に温かみと癒しを分け与えてくれた、その存在。


「大丈夫なの、怪我の方は」

カツオが心配そうに訊ねた。
事実、この三人の中で勝郎の事故に関して一番動揺していたのは彼であった。
(リョーマや堀尾とは違ってクラスまでも一緒だったのだから、無理はない。)

質問に対して、明るい声色で答える勝郎。

「うん。なんかそこまで大したことないみたい。すぐに相部屋に移されるって」

なぁんだ、と胸を撫で下ろす堀尾とカツオ。
個室の方が気楽でいいのにな、などと言っては軽く笑い合っている。


「全く、全治3ヶ月なんていうからどんな大怪我かと思ったぜ」
「心配掛けちゃってごめんね」
「ううん、仕方ないよ」


和気藹々と話す三人。

その中で、リョーマはずっと黙り、ただただ勝郎の横顔だけを見ていた。



暫く世間話をした後、勝郎が自ら言った。

「3ヶ月も病院に居たら体がなまっちゃいそうだな」

天井を見上げながら、そう切なそうに。
堀尾は明るく切り返す。

「まあ、包帯か何かしら巻いたまま退院とか、なんとかなるんじゃないの?」
「うん。お腹の怪我は浅いんでしょ?腕の怪我で3ヶ月間病院に入りっぱなしとは思えないなぁ」

と、カツオも言う。
二人の励ましに、笑顔を取り戻した勝郎。

「そう…だよね!」
「ああ、すぐにテニス部に戻ってこいよ」

話の流れ的に、そろそろおいとまするか、というような雰囲気になったとき、
ここへ来てリョーマが初めて口を開いた。


「ねぇ」

「?」


突然声を出したリョーマに、堀尾とカツオの二人も不思議そうに振り返る。
勝郎はきょとんとして瞬きを繰り返す。

リョーマは一瞬ためらいながらも、言った。


「右腕、動いてるの?」


それに対して、勝郎は、あ、と小さく漏らした。
堀尾とカツオも振り返る。

気付かれちゃったか、と左手で頭を掻きながら勝郎ははにかんだ。


「今は…実は動いてないんだ」

えっ、という声に特に反応することなく、続ける。

「でも、傷が塞がれば平気だって」

笑いになりきらない笑みでそう語る勝郎。
堀尾とカツオは、お大事に、と伝えた。

その言葉を、リョーマは相槌を打つことすらなく無言で聞いていた。
そして、他の三人が気付かぬほどに微か、眉をピクリと動かした。
といっても故意ではなく、言葉を聞いたときに、反射的に。だって。


――動かない?

本人の表情を見るからに、嘘は絶対に言っていない。
(元々そのような人間ではない。)

でも……。


傷口に蓋をされれば、動くようになるものなのか?

今は痛いので動かさないようにしているのであれば話は別だが。


動かせない。動かさないのではなく。 動かない?


まさか。



まさか―――……。




「越前」

「!」


…え。


「話聞いてなかったのか?帰るぞ?」

堀尾のその言葉に、自分が軽くトリップしていたことに気付く。
現に戻され、リョーマは平静を装って立ち上がった。

「それじゃあ、また来るからな」
「うん。またね」

ベッドから腰を上げた勝郎は、手を振りながら笑う。
堀尾が部屋から出、カツオも続き、最後にリョーマが…と思ったが、出て行かなかった。
背を向けてはいるものの、扉を潜ろうとはしない。


「…リョーマくん?」

「カチローっ!」


不思議そうに呼びかけてきた勝郎に、リョーマは食って掛かるような勢いで振り返った。
勝郎は一瞬驚いた風な表情になりながらも、優しく笑って、なに、と訊いた。

俯き気味だった顔を起こして、リョーマは問いを発した。

「テニス…また、やるよね」

その質問に、勝郎はきょとんとしていたが、すぐに笑いなおして言った。


「勿論だよ!怪我が治る頃にはきっと…3年生は引退しちゃってるから。レギュラー、目指すよ!」


笑顔の勝郎に少し安堵を覚えたのか、リョーマは微かに微笑むと、踵を返した。






「良かったな、カチロー大したこと無くて」
「うん。安心した」

帰り道、歩きながら思い思いに感想を口にする。
とはいえ、リョーマはやはり黙り込んだままだった。
思い詰めるように、地面を凝視しながら。

「そういえば越前、さっきカチローと何話してたんだ?……越前!」
「え?」

そこでリョーマは、また自分が違う世界に入りかけていたことに気付く。

「お前…やっぱさっきからおかしいぞ」
「そうそう」

堀尾とカツオが少々不信感を抱いたような表情で言った。
リョーマは特に答えようとせず無言で歩き続け、凛とした横顔を二人に見せ付けていた。
そして曲がり角で、片手を上げた。

「それじゃ。俺、こっちだから」
「おぅ、またな」
「お疲れー」

あっさりと別れを告げ、リョーマは二人から離れた。
(「やっぱ変だよな」という堀尾の言葉には聞こえないフリをして敢えて反応しなかった。)



一人になって、考える。


自分の存在理由はテニスしかないと言っても過言ではない。
そして勝郎と結び付いているのもまた、テニスだけなのだと。
勿論友達という仲ではあったけれど、自分には、それしかないから。

たった一つの、テニスをするという行動だけで繋がっていられたから。

自分には、それしかないのだから。

関係を、失わせないで。


切実な思いが、胸を占めていた。

考えすぎかもしれないけど。
考えすぎなだけだと、思いたいけど。



―――夕日が作る影は、どこまでも長かった。

























リョーマはアニプリ風で!(平然生意気ツッパリ受/笑)


2004/03/17